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リヤカーで野菜を売りにきた行商人

幼い頃(S36〜)、リヤカーを引いてオバサンが近所(西新町地区)に毎朝取立ての野菜を戸別に売りに来ていました。「母ちゃん!何かいらねぇかのぉ」、「キビと枝豆もらうこっつぁ」・・こんな会話を毎朝交わされたいたことを思い出します。その後、就職で上京して帰省した時(S57)、同じようにリヤカーに野菜、果物を載せて近所を訪問する行商人のオバサンを見かけたのですが・・・・もちろん今ではいらっしゃらないでしょうね?振り返れば、あの行商人のオバサンは何処からきたのだろうか?

投稿者:琉球さん 登録日:2012-05-25

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三平方の定率さん
長生橋にまだ歩道橋のないころリヤカーの後ろにつくと渡り切るまでノロノロ走りました対向車もそこそこあり追い越せず まあのんびりしてましたね あのころは
むかしラヂオ少年さん
連れ合いの実家が川崎の農家、baaばあちゃんは90くらいまでリヤカーで振り売り(というらしい)してたよ。
小さい身体で遠くから見るとリヤカーだけが動いてるように見えたよ。
 僕も横浜で野菜作っていて、余りを時々出荷してるよ。
ぶしょうひげさん
リヤカーはさすがになくなりましたが、軽トラに沢山の野菜を積んで来らる方はいらっしゃいます。
バイクに乗って枝豆を売りに来られるおばあちゃんもいらっしゃいます。
戦中を生き抜いて来られた方々のパワー恐るべし。
中之島さん
当時は山田町に住んでいました。この辺回ってたのは、おおばぁちゃんは〜左近の百姓らて〜って言ってました。
PCドクターさん
大手通の十字路から北500mくらいのところが実家です。中島の現在の警察署そばに畑を持つおばちゃんAさんが来ていました。
東坂之上までリヤカーを引いて回っていました。リタイヤして30年経ち、すでにお亡くなりになりましたが、存命なら90歳すぎです。
夏はナスとトマト、枝豆も持ってきてくれたかな。3軒隣に来れば、長岡弁が聞こえてきました。「まいどー、あねさまなじら」という大声がまだ耳に残っています。
ぼんさいおやじさん
長岡は小さな町。市街地から少し歩けば農家の野菜畑がいっぱいありました。西新町だったら松葉、新保辺りからか。信濃川堤防下は畑が広がってました。中島、川崎、今朝白,新保も農地でした。今はみんな住宅地になってしまいましたよ。昭和40年代はじめ頃まではよく見られたのでは。「かあちゃん ナスいらんかね」「いいかぼちゃらいね、どうらろかね」とかの言葉が懐かしくよみがえりますいね。

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